
[緊急支援を開始します]
ハイチ大地震復興支援
ハイチ大地震復興支援
2010年1月12日ハイチ共和国で起こったM7.0の大地震は首都ポルトープランスをはじめ人口の多い地域を直撃し甚大な被害となりました。チャリティ・プラットフォームでは現地の復興支援を行う団体に向けて緊急支援募金を開始しました。 支援中の団体の活動の様子は、随時アップしていく予定です。
チャリティ・プラットフォームは
ハイチ大地震被害への
支援活動を応援しております。
ハイチ大地震被害への
支援活動を応援しております。
活動団体一覧
2010.02.25

「古いランドクルーザーに一斉に乗り込んで、私たちはでこぼこの道を病院まで行きました。車はがれきや押しつぶれた車の間を縫うように進み、水を汲んで避難所へと戻る人々の列を過ぎました。オーナメントドームがものすごい角度になっている大統領府を通り過ぎると、中央に偉人たちの銅像のある大きな公園に出ました。大きな難民キャンプでした。洗濯物と家族の屋根となる防水シートが万華鏡のように広がっています。角のところに病院がありました。門にはアメリカ兵が警備をしています。そうしなければならないのです。朝のこの時間でさえ、何百人のも人が列を作って治療を待っており、割り込もうとして押し合っています。私たちはできるだけ素早く手術台を作りました。ハイチ人医師が到着するまでにはしばらく時間があります。彼らはここまでやってくるための輸送手段がないので、遅くなるのです。
最初の仕事は病棟を見て回り、今日の診察予定の患者を見つけることでした。私たちは包帯の上に、次の手術がいつかを記しています。というのは、患者は枕の下にノートを保管することになっているのですが、濡らしたり、破ったり、失くしたりするからです。私は世界の医療団のロゴと今日の日付を探しながら、足から足へ、腕から腕へと進みます。自分のリストを持って戻ってくると、笑顔のスペイン人の消防士と女性たちがまた数人の患者を見つけていたので、リストに加えました。病院には、今やショックの治療だけでも、一張りあたり10人から12人の患者のテントが10あります。
それから、「ジャングル」があります。これは病院の庭一面に古いベッドが並べられ、そこの木と木の間に防水シートが張られているのです。他のどこにもベッドを見つることができなかった患者であふれています。ここは帰る家のない患者のための難民キャンプのようになってきているので、病院はこの屋外病棟を閉鎖しようとしています。できる限りベッドを早く開けるようにしているのですが、それより多くの患者がやってきます。しばらくすると、もっと多くの診察患者を内陸地方から載せてやってきたトラックが三角テントに到着します。
最後の患者を診察したら、1時間ほどかけて整理整頓と次の日のための補充をします。それから門まで戻り、家へ連れていってくれる輸送手段に乗ります。
昨日は、一台の大きなユンボが、門の外にある建物を取り壊していました。何十人ものハイチ人が、拾うものを探してがれきの間を掘り返しています。死体がころがっているので、ひどい匂いです。私が恐ろしいと感じるのは、そこは何人かの人が閉じ込められて何時間も、もしかしたら何日もたどり着かなかったレスキュー隊を待っていた場所かもしれないということです。もしかしたら、彼らは多くの人々が今とても心を痛めている孤児たちの両親だったかもしれない。
ハイチの次のステージは、復興です。
これは本当に難しいです。実際のところ、この町は今完全に取り壊してそれから再建しなければならない。
残っている建物も大半は安全ではないし、その他の建物はすでにがれきと化しています。しかし、再建するとしても、再建のためのお金を支払うのは誰でしょう。この国は地震の前ですら破たんしていました。今は家も失っています。」
クリストファー・ブルストロード医師より
2010.02.12
2010年1月12日(日本時間13日朝)の大地震の発生から2月12日で1カ月を迎えます。12日からの3日間は、「国民服喪の日」に定められ、国中で 犠牲者を追悼することとなりました。傷跡は深いままですが、学校や銀行が一部で再開されるなど、被災地は普段の生活を少しずつ取り戻しつつあります。

ハイチ国内では半旗が掲げられている
全半壊を免れた学校では、2月1日から授業が始まりました。しかしながら、余震を恐れて親が子どもを学校に行かせないなど、まだまだ地震の影響は大きいようです。
ハイチ政府教育省やピースウィンズ・ジャパン(PWJ)をはじめとする援助団体、各国政府・国連などは、3月31日までには全学校での授業を再開させたいという目標のもと、学校の損壊度調査を進めるなど、支援を急いでいます。

倒壊した学校では学用品や教職員の記録がそのまま
PWJも、住居を再建に向けて瓦礫を撤去するための道具やテントの配布の準備を進めているほか、倒壊した学校の再開支援を実施するための調査を続けています。

調査を続けるPWJスタッフ
報告:山本理夏
2010.02.05
世界の医療団フランス理事長オリビエ・ベルナールは、ハイチに入り、地震生存者達は健康を脅かす危険にさらされていると、次のように発表しました。
「この状況下で雨が降り出せば、家を失った何千人ものハイチ人達は人道的にも健康上においても危険にさらされてしまうと、医療チームも私自身も同じように痛感しています。トイレや清潔な水が不足していることから、生存者達、特に子供においては、下痢脱水状態の蔓延の増加が懸念されています。そのことを考慮して、備えなければなりません。」
我々の医療チームはハイチ人スタッフの力を借りながら、どのような医療的ニーズが必要なのかを見極め、移動診療所の設置が最も必要とされる場所を探しました。
プライマリー・ヘルスケアでは、まず水と食料へのアクセスが最優先課題となります。
その他に、今の状況下では、メンタル・ヘルスケアに重点を置くことも、非常に大切になってきます。生存者達はトラウマや死別体験に苦しんでおり、今も尚、行方不明になっている人々が多数いることから、復興はより一層困難になっています。
首都から逃れ、ジェレミ地方に流れてきた人々の数はおよそ2万人に上るとされています。今後は、我々医療チームは、子供達の栄養状態に重点を置いて活動していきます。人口増加と食料不足問題が重なる今、その悲惨な影響は特に幼い子供達に及んでしまうのです。

2010.02.05
国際NGO難民を助ける会は、4名からなる緊急支援チーム(リーダー:大西清人 難民を助ける会事務局次長)を現地に派遣し、支援活動を行っています。
隣国ドミニカ共和国でお米や豆、ビスケット、食用油、水、石鹸、ろうそくなど、食料や生活必需品のパックをまず約300世帯分(1世帯6人、約1週間分)調達し、現在は特に貧困の厳しい被災者家庭を中心に配布しています。

サントドミンゴで支援物資をパッキングし、トラックに積み込む
緊急支援チームからは、「街は見渡す限り建物が崩壊し、まるで戦後のような光景。支援物資は何もかもが足りていない」と、非常に厳しい状況が報告されています。難民を助ける会では300世帯への配布の後も、さらに物資配布を続けてまいります。ひとりでも多くの被災者を支援していけるよう、引き続き募金にご協力をお願いいたします。

地震で家が崩壊し、仮のテントで暮らす被災者たち
◆活動の詳細とご寄付方法はこちらから
2010.02.02
ハイチ地震被災者支援のためにピースウィンズ・ジャパン(PWJ)スタッフが現地入りしてから1週間。首都ポルトープランスのぺチョンビル地区の被災者の状況を知るため、地元の教会関係者とともに地域を回りました。当初、伝えられたような、人びとが先を争って配給物資に群がるような光景は、一度も目にしませんでしたが、困難な状況のなかで支援を待つ多くの人たちがいました。

被災しながらも希望を失わない人びと (C)PWJ/Toshiko KITAHARA
地域の中心にある広場や、サッカー場など、車が頻繁に行き交う道路に面した場所は例外なくすべて、被災者たちで埋め尽くされていました。
ビニールシートやシーツ、バスタオルや毛布など、大きさもさまざまな、手に入るものなら何でも、ひもを張ってそこに引っ掛けた下で避難生活を送る家族が座るところは、隣との間などまるでなく、人びとが通るのも容易ではありません。大勢の被災者が集まっているのに、仮設のトイレはたったひとつしかなく、衛生面が心配される避難所もありました。
それでも、そうした場所に避難した人びとのもとには、飲み水や食事の配給が少しずつですが、届き始めていました。地震直後に報道されたような、人びとが先を争って配給物資に群がるような光景は、一度も目にしませんでした。


集するテントからは生活の雰囲気が (C)PWJ/Toshiko KITAHARA
しかし、ひとたびメインの通りを過ぎて、地区のより奥のほうへ進むと、様相は一変しました。勾配の急な、地震発生前から舗装が整っていない坂道を車でどうにか登っていくと、道の両側には住居が崩れ落ちたがれきがうず高く摘み上がっています。風が吹くと粉塵が舞い上がり、あたりは白くなっています。
ところどころで見かける人たちは、近くの避難所で避難生活を送っていて、自分の家に調理用具などを取りに来ているのです。それでも、大きなコンクリートの塊が一帯に広がる家の残骸の中から、使えそうなものを掘り出すのは容易なことではありません。壁に大きな亀裂が入っていたり、建物の道路側はすでに崩れているものの、何とか立っている家もありますが、今にも上から崩れ落ちてくるかもしれず、このような建物に近づくのは危険きわまりない状況です。
一緒に周辺を回っていたグループの1人は、半壊した自宅の敷地を近所の人びとに開放していました。10世帯ほどが身を寄せている、そのごく小さい避難所を訪ねました。彼が、これまでの苦労を話してくれました。
「地震で家は被害を受けてしまったが、周りでは完全に家が崩れて行き場を失った近所の人たちが困り果てていた。自分ができることは限られているが、お金を工面して給水車を手配して飲み水を確保したり、食糧を買ってきてみんなで少しずつ分けたりして、今までやってきた。こんなに奥まったところにある小さい避難所は、誰にも気づいてもらえないので、外国からの支援団体は、今まで一つも来ていないんだ」

被災地で調査を続けるPWJスタッフ (C)PWJ/Toshiko KITAHARA
PWJは、このように、「自分たちが住んでいた地域からできれば離れたくない」と考える被災者の気持ちを尊重し、応急的に暮らしていくためのビニールシートやテントなどの配給を準備するとともに、二次災害が発生しないように注意しながら、生活再建のために、まずは壊れた家の片付けをするための道具の配布を計画しています。こうした支援物資の配給に当たっては、被災住民らと計画段階から話し合いを持ち、人びとのニーズに沿って実際の配給が行えるように、今後も活動を進めていきます。
報告:PWJ齋藤 雅治
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